北海道 小樽市 手宮 北海道の鉄道スタートの地 札幌じゃないんだ

昔のおもしろ話

昔は手宮の地(リンク)から列車が出て行った 鉄ちゃん垂涎の地

やはり、子供の頃は遊び場の一つとして、手宮のかなり奥まったところに、列車を反転させる

設備だの列車の倉庫だの、専門のことは分からないけれど、見ていて飽きない設備が結構多く

あったと思う。そうそう色内町(いろないちょう)と呼んでたな。

なんと今現在は小樽市総合博物館があります。北海道鉄道の歴史について学べます。)

特殊な車両は、過去いろいろと目に焼き付いたが、忘れた。何と呼ぶのかなども分からない。貨物

やD51,C62なんかも入ってきていたと思う。でも主役は貨物だった。こんなに長くて大丈夫

かと思うくらい長いのがあった。石炭や材木なんかも多かった。

線路は2本、レールは4本。昔は子供が線路わきに居ても、血相書いて追い払うなんてことは

なかった。

変なことはしないけれど、線路につぶしたいものを結構置いた記憶がある。事故にもならず・・・

多分何もなかったと思うが、子供はあちらこちあらに居るから何かあっても、そう伝達が

すぐされるということはない。ので分からない。

切り替えのポイント、遮断機、枕木の山、大きな釘コールタールのにおいぷんぷんの枕木。

レール止め。

いま思えば、すごいなと感じる。当時は何でも列車と言うより、汽車だ。

D51も出発は小樽駅からだったが、海水浴で蘭島まで、石炭のもうもうの煙を吐き、

鼻の穴を真っ黒にして乗ったものだ。

この時の客席は、昔の堅い座席の納紺色の古いものだった。今はもう見ない。当たり前に

30~40年前に無くなっているか。もったかな。

トンネルをくぐる前に汽笛を鳴らす。小樽高島間は結構短めのトンネルがあり、けっこう


ピーピー鳴らす。

蘭島までは、時間にして30分か40分の間であったように思う。遊びか、水泳の何かで結構

通った思いでがある。当時の線路沿いは、ジャングルのように雑草だの、背の高い木なども生えて

緑の中を、列車が葉を引きちぎりながら、走っており、みどりのイメージが強い。

夏の暑い季節だから、窓はほぼすべて開け放たれており、そこへトンネルに入ると煙が

座席まで入ってくる。

実はこの煙は結構汚いのだけれど、煙くもあるのだけれど、あまり嫌がって閉める人も

いなかった。情緒はあるが汚く、すっかり汚れてしまうのだ。

冬の思い出はD51ではほとんどない。多分走っていたのだろうけれど思い出がない。

当時蘭島には必ずに止まったと思うが、ひとつ前の駅にこれまた良い海水浴場。塩谷の駅が

あったが、ここは時間で止まったり、通過でスルーなんてのもあったように思う。

昔は、海産物もそれなりに良くとれていたと思う。今はすっかり駄目になったことだろうと思う。

小樽の駅の脇には、三角市場というところがあり、当時水産物を中心にいろいろと売っていたか

と思う。時代の波に押されて観光水産品くらいしかないだろうが、昔は普通の生魚などを販売

していた。直ぐ脇には地獄のように急な坂道があり、車でも急すぎて、登れないと思われていた。

上から見れば、なかなかに展望が良いのだ。

小樽の駅舎もすでに直して、何十年も経過したろうけれど、その直す前だから、なかなか古くて情

緒のある駅だった。当時は札幌まで1時間かかっていたが、今は40分かからないのではないか。

小樽の町もゆっくり歩いてみたい。結構行くところはあるのだ。狭く小さな町だが、思いで深い。

私にとっては、20歳前後までを暮らした思い出が詰まっている。機会があれば、別な角度でまた

紹介をしたいと思います。

 

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